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2024年3月23日土曜日

ポリーニ死去

 イタリア人ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが本日亡くなったそうです。ポリーニといえば中学生の頃ショパンの練習曲集を聴いて衝撃を受け(ヴィルヘルム・バックハウスのSPレコードも素晴らしかったですが)、高校生の頃にピアノの師匠の勧めで来日コンサートを聴きに行きました。NHKホールの最後列の座席では足りなくてその後ろの通路に折り畳み椅子が用意されてそれに座って聴いた事を昨日のように思い出します。ポリーニが遠くに小さく見えましたが勿論、演奏は本当に素晴らしかったです。我々と同時代を生きた偉大なピアニストの御冥福を心よりお祈りします。

2020年1月21日火曜日

宍戸錠氏死去

とうとうエースのジョーが逝ってしまわれました。高校時代に東京12チャンネル(現テレビ東京)で昭和30年代の日活アクション映画を頻繁に放送していたのを見てファンになりました。そういえば、高校2年の時にジョーという渾名のクラスメイトがいたのですが、頬の膨らみ具合が宍戸錠に似ているという事でそう呼ばれていました。(笑) 小林旭、赤木圭一郎など、日活ニューフェイスのアクション映画は本当に面白くて随分見ましたね。宍戸錠はシリアスな役柄の小林旭とは違ってどちらかというとコミカルな役が多くて大いに楽しませて頂きました。デビュー作の昭和30年の「警察日記」を見ると長男の宍戸開氏と瓜二つです。日活アクション映画は自分が生まれた頃の風景が写っているのが懐かしくて、話の筋立てはワンパターンでしたが好きでした。昭和39年になると東京オリンピックで急速に町並みが変わってしまったせいか、日活映画自体もなんだか面白くなくなってしまいましたね。奇しくも今年は東京オリンピックが開催されますが私は全く興味がありません。勝手にやってろって感じです。(笑) つい先日「拳銃(コルト)は俺のパスポート」という宍戸錠主演映画(これはかなりシリアス)のDVDを買ったばかりでしたので尚更残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。

2017年7月26日水曜日

小川寛興氏死去

作曲家の小川寛興氏が19日に92歳で亡くなられました。何といっても子供の頃大好きだったテレビ漫画ピュンピュン丸のBGMが今でも強く印象に残っています。多調(復調)を採り入れたり、今考えると勿体ないくらい良い曲ばかりでした。主題歌もはっちゃけていて楽しかったですね。交響曲「日本の城」もLPでよく聴きました。心からお悔やみ申し上げます。

2016年12月3日土曜日

訃報

親しい人のお父上が先程亡くなったとの連絡があった。倒れて病院に搬送されて間もなく亡くなられたそうだ。大変お世話になった方なのだが最近お目にかかっていなかったのが心残りである。それ以外にも色々と心残りがあって非常に悲しい。もう一度一緒にお酒が飲みたかった。

さて、もう昨日になるが、夜9時頃猛烈に眠くなって夢を見た。珍しく夢にその親しい方が現れ一緒に街中を歩いていて暫く行くと川があり、その川は海のような川のようなあまり見た事のない感じだったのだ。ただそれだけの夢なのだが深夜に目が覚めてあの川は一体何だったのだろう、もしかしたら三途の川? だったら渡らなくて良かったと妙な気持ちになったのは確かである。ふと見ると携帯の着信ランプが点滅していて、父が倒れたからこれから病院に行くというメールの着信だった。単なるこじつけに過ぎない事はわかっているがちょっと胸騒ぎがした。突然の事でご家族はさぞかし大変だと思う。心からお悔やみ申し上げます。

2015年5月29日金曜日

今更ながら

作曲家の藤田正典さんがわずか63歳で2009年5月4日に逝去されていたことをインターネットで知ってかなり凹んでいます。(涙) まだ若い学生時代だった1982年2月7日にNHK FMの「現代の音楽」という番組で上浪渡さんの名解説で藤田さんのオーロラIII が放送され、この作品で現代音楽に開眼した私にとっては藤田さんは新しい音楽世界に導いてくださった「恩師」であります。おそらくこの邂逅がなければ不協和音の豊穣な世界を知らず未だに古典和声の世界に埋没していたかと思うと、藤田さんの若過ぎる死は本当に残念でなりません。この時エアチェックしたカセットテープ(他に一柳慧さんの「輪」、石井眞木さん(故人)の「入破II」も放送されました)は今でも宝物として大切に保存しています。合掌

2013年10月6日日曜日

三善晃氏死去

訃報:三善晃さん80歳=作曲家、文化功労者 毎日新聞

自分が10代後半から20代の頃、最も影響を受けて私淑した作曲家、三善晃氏が4日に亡くなられました。数年前から体調が芳しくないという話は聞いておりましたが、非常にショックです。

私は若い頃に拝見した三善さんのイメージでずっと今まで来ましたので、80歳という年齢に時間の流れを感じてしまいます。私もいい歳になりましたし。若い頃書かれたヴァイオリン・ソナタは絶品で、自分が21の時に書いたピアノ・ソナタは三善さんのソナタに依拠するところが非常に大きく、調性も同じイ長調で拍子も同じです。ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、交響三章、聖三稜玻璃などの非常に優れた作品を若い頃に聴けたのは自分の人生の財産になっています。三善さんが戦争中、日常的に人の死を目の当たりにして、自分が生き残ったことの意味をずっと考えてこられたと語られた新聞の記事が今でも手元にあります。奇しくも氏が私淑されたフランスの大家、アンリ・デュティユーが死去した同じ年に逝かれました。

謹んでご冥福をお祈り致します。

2013年5月23日木曜日

アンリ・デュティユー氏死去

http://www.sanspo.com/geino/news/20130523/sot13052305020001-n1.html
フランス作曲界の重鎮が遂に亡くなられました。同氏が傑作ピアノ・ソナタを捧げた奥方のピアニスト、ジュヌヴィエーヴ・ジョワ氏は既に2009年に亡くなっていますので、異例の長寿だったと思います。私は、デュティユーのピアノ・ソナタの楽譜を購入し細かく分析して、何という天才的な作曲家だと感嘆した記憶が今でも鮮明に残っています。自分は若い頃勝手に三善晃氏に私淑していましたが、その三善氏が私淑されていたデュティユー氏が亡くなったということは一つの時代の終わりを感じざるを得ません。私はサン・サーンス~ラヴェルの流れを汲むジャン・フランセの皮肉(アイロニー)が大好きで、最近見つけた遺族が撮影したオネゲル賞受賞時のフランセの動画にデュティユー氏が映っていて大いに感激したものです。自分が青春時代に親しんだ作曲家が亡くなるのは非常に残念ですが、かくいう自分ももうかなりいい歳なので仕方ないかなとは思います。因みに、デュティユー氏は自分が偏愛している電子楽器オンド・マルトノを用いた作品も作曲しています。青春時代に親しんだ作曲家の方々が長生きして頂きますように願ってやみません。デュティユー氏のご冥福をお祈りします。

【追記】 お薦めCD

disque du SOLSTICE SOCD 18 
Marie-Catherine Girod のピアノによるオーリック、デュティユー、ジョリヴェのピアノ・ソナタ集。特にデュティユーの終楽章のテンポの速さに圧倒されます。



2009年5月11日月曜日

たまらん坂

今日は親父の診察の日なので車で都立府中病院に行きました。病院への行き帰りには、いつも国分寺と国立の市境にあるたまらん(多摩蘭)坂(多喜窪通り)を通るのですが、丁度坂を上りかけた信号のある交差点の道標のあたりに沢山花束が置かれているのが見えました。最初事故でもあったのかなと思ったのですが、ああ、先日亡くなった忌野清志郎さんの追悼なんだと気付きました。清志郎さんの歌に多摩蘭坂という曲があり此処はファンにとっては聖地のような場所で、マンションが建つ前にあった石垣にはファンの書き込みが沢山あったそうですね。随分昔(1980年代)の事ですが、受験のために師事していたピアノの先生のご自宅が多摩蘭坂のすぐ傍にあったので、学生時代は週に一度は必ず此処を通りました。また、従姉が結婚した旦那さんの実家(歯科医を開業していた)が私が通っていたピアノの先生のご自宅のすぐ裏にあってビックリした思い出があります。(笑) 昔は坂の途中に「たまらん坂」と書かれた大きな看板があったような記憶がありますが、今は大きなマンションが建ったりして随分風景が変わってしまいました。私は清志郎さんの直接のファンではないのですが、彼の歌はよく耳に残っています。同じ多摩人としてご冥福をお祈りします。合掌。