2008年8月30日土曜日

山田耕嗣氏の逝去を知る

山田耕嗣氏といっても、殆どの方はどういう人かわからないと思いますが・・・(^^;


書店でたまたまラジオ関係の雑誌を立ち読みしていたら古いベリカード(ラジオ局に正しい受信報告書を送ると確認の証としてお礼に貰えるカード)の写真を収録した別冊付録があり、それらの提供者はBCL(海外短波放送を受信して聴いて楽しむ趣味)の神様といわれた山田耕嗣氏でした。BCL(Broadcasting Listener)は私が中学生の頃爆発的に流行した趣味で、各家電メーカーからは今では考えられないような凝りに凝った意欲的なラジオ(受信機)が多数発売されていたのです。自分は松下電器のクーガ118というラジオを秋葉原の石丸電気2号店で父親に買ってもらってよく聴いていました。その後、周波数がほぼ直読できるソニーのスカイセンサー5900や松下のクーガ2200、デジタルカウンターを搭載した八重洲無線(現バーテックススタンダード)のFR-101などの高性能受信機が発売されましたが、中学生の小遣いでは如何ともし難く、ずっと羨望の的でした。その中のいくつかは社会人になってから中古品を入手して当時の渇望を癒したものです。(笑)


当時買った山田氏の著書「BCLマニュアル」(電波新聞社刊)は今でも書架に大切に保管していますが、書店で読んだ雑誌に掲載されていた山田さんの近影を見て随分歳をとられたなあと思って、ネットで近況を検索したら今月19日に癌で死去されていたという記事を見つけて本当に吃驚しました。1940年生まれで67歳、まだまだお若かったのに残念です。BCLマニュアルには30代半ばと思われる山田氏とまだ幼かった娘さんの写真が載っていて、書籍の内容共々遠くなってしまった昭和を感じます。そういえば、山田氏もかなりの猫好きだったようですね。


インターネットなど影も形もない時代、海外からリアルタイムで情報を得るには海外短波放送を聴くくらいしか手段がなく、雑音の中から聞こえてくるアナウンサーの声に海外の情景を重ね合わせていました。独ドイチェ・ヴェレのIS(インターバル・シグナル)であるベートーヴェンの歌劇フィデリオの一節、英BBCのビッグベンの鐘の音、毛沢東が死んだ時の北京放送などを今でも鮮明に覚えています。まあ、情報源が限られていたのでそれを想像で補いつつ意識を現地に飛ばしてそれっぽい雰囲気に浸っていた、実にのんびりしたいい時代でしたね。(笑) ラジオのチューニングダイアルを回していくと、気味の悪い北朝鮮の暗号アナウンス(日本国内に潜伏している工作員に日本人拉致を指令していたらしい)や、モールス符号「K」だけをひたすら何時間も打ち続ける「シングルレターK(旧ソ連極東地域が発信元らしい)」という不可解な電波が頻繁に入感して、訳がわからなかったにも拘わらず面白がってよく聴きました。現在は海外放送局の大半が日本語放送をやめてしまいましたが、アルゼンチン、モンゴル、ヴェトナム、イランなどはまだ日本語で放送しています。アルゼンチンは当時から受信困難な放送局で、私も一瞬だけそれらしい放送を受信したことがあります。また、ヴェトナムの放送は現地ヴェトナム人アナウンサーの強烈なヴェトナム語訛りの日本語が逆に心地よかったりします。(笑)


さて、よく考えたら、BCLというのは天空高い電離層と地球の間で何度も反射して届く極めて伝播状態の悪い海外短波放送を、小中学生の洟垂れ小僧共が屋外にアンテナを張ったりして必死に聴くという、今のコンピューターゲームなどは足元にも及ばぬほど「能動的」で「高尚」な趣味だったのですね。(笑) 当時、夏休みに友達の家に泊まりがけで受信会を開催した楽しい思い出が色々と蘇ってきましたが、それ故、山田氏の死去は本当に残念で、これらの思い出が一足飛びに遠い遠い過去になってしまいました。(涙


謹んで山田耕嗣氏のご冥福をお祈りします。


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