2014年2月6日木曜日

インチキ作曲家

昨日から今日にかけてインチキ作曲家、佐村河内守(さむらごうち まもる)のニュースをやっていましたが、私は普段テレビなど殆ど見ないので、この名前は最近のニュースで初めて知りました。自分では一切作曲せずにゴースト役の作曲家、新垣隆氏に丸投げして、さも耳の聞こえない自分が苦心惨憺した末に完成したようなフリをしていたというとんでもない輩です。而も18年間も。この作曲家擬きが大ブレイクする切っ掛けとなったNHKスペシャル「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」という番組がネット上に全編あったので見てみましたが、とにかく非道い。激しい耳鳴りにもがき苦しみながら七転八倒して作曲する姿も全て嘘。特に震災の津波で母親を亡くした幼い娘さんとの交流にはあまりの外道さに反吐が出ました。NHKは公共放送の分際でありながらホントにこういう偽善が好きですね。全く呆れます。親を亡くしたことと、詐欺師に騙されたこの娘さんの2重の失望を思うと本当に言葉が出ません。氏ねじゃなくて本当に死ねと思いましたよ。こんなゴミのような番組を作って全国に放送したNHKは実に罪深い。制作関係者を処分して猛省しろと言いたいですね。それから耳が聞こえないなどと障碍を強調して、それ程価値のないものをやたら持ち上げるこの国に蔓延した風潮も本当に嫌らしい。余談ですが、嘗ては超有名な某作家の障碍持ちの子息が作曲した箸にも棒にも引っかからない曲をさんざん持ち上げていたこともあり、名前を捩って「親の七○」と友人と嗤っていました。障碍があることは本人が望んだことではないし健常者の自分から見れば実に気の毒でありその苦しみを理解することなど到底不可能ですが、そのことと作品の出来は全く関係がないのですよ。大体、何の論理性も感じられず深い思考を経ていない幼稚な音楽を、親に知名度があるからといって大手企業が易々とCD化するなんて、真剣に作曲に取り組んでいて実力がありながらなかなか発表する機会が与えられない人たちを愚弄にするにも程があります。佐村河内には「現代のベートーヴェン」とか如何にも下品なキャッチフレーズがついていましたが、冗談じゃないですよ。ベートーヴェンに対する冒涜です。ゲスな世の中になったものです。

この番組で、耳が聞こえない(と自称する)この作曲家擬きは絶対音感で作曲していたというようなもっともらしい解説がありましたが、作曲するのに絶対音感は必須ではないです。耳が聞こえないのに作曲するなんて奇跡だと考えている人が多いですが、勿論生まれながらに聞こえない人であればそうでしょうが、音楽のテクニックを習得する年齢まで耳が聞こえていたらそんなことはありません。大切なのは和声学と対位法、管弦楽法をきっちりと勉強しておくことです。これさえしておけば後期ロマン派までの語法だったら楽器がなくても耳が聞こえなくても譜面上だけで作曲できます。実際多くの作曲家は楽譜上だけで作曲しています。勿論、素晴らしい作品を創造するには才能が不可欠ですが。作曲家にとって致命的な障碍は寧ろ失明することです。

新垣氏の会見も見ましたが、人の良さそうな(気の弱そうな)感じで、おそらく断り切れなかったんでしょう。私もゲーム音楽の仕事をしていた時、忙しい人から依頼されて代理で(その人が作曲したということにして)納品したことがありますので気持ちはわからないでもありません。殆どの作曲家は曲を書いても実際に演奏される機会は少なく仮令演奏されたとしても再演やCD化などは望むべくもなく、私など特に実際に有名な演奏家や大オーケストラによって演奏されたり、市販のCDになって残るとしたら悪魔に魂を売ってしまうかも知れません。(笑) 私とは異なり新垣氏は真の実力があり、純音楽の作品の幾つかはYouTubeでも見られます。それから詐欺師の風貌についてひとこと言わせて頂きましょう。人間は見かけで判断してはいけないとはよくいわれますが、私は以前にBGMの仕事で自作品を知人にパクられた(剽窃された)ことがあって、その知人の風貌が佐村河内にそっくりなんですよ。やっぱり似た性質の人間って外見も似ているんですよね。

さて、実際に曲もいくつか聴いてみましたが、語法的には後期ロマン派止まりで、純(絶対)音楽というジャンルとは違うと感じました。劇伴とかBGMとしてならば非常に素晴らしい出来だと思います。おそらく作曲者本人も大衆受けすることを第一に考えて元々純音楽としては書いていないでしょう。その辺は新垣氏の才能だと思います。その目論見通り、普段クラシック音楽をあまり聴かない大衆には大受けした訳ですよね。最初に手がけたゲーム音楽の時点でこの詐欺師と決別して仕事をしていたらよかったのにと悔やまれてなりません。新垣氏は前衛的な現代音楽もやるし、豊かな才能の持ち主なので、それだけに今回の事件は実に惜しいですね。勤務先の大学は是非とも彼をクビにしないで頂きたいです。

また、今回特に感じたのが、音楽評論家というのが一体何のために存在しているのかということでした。私は以前から何にも創造に与しない音楽評論ごときで飯が食えるなんて間違っていると思っていますので、彼らの耳が節穴だったということを改めて知ることが出来て痛快です。音楽評論家は作曲はおろか楽器すら満足に弾けない人が大半でしょうし大体審美眼も教養もなさ過ぎですよ。その意味ではAmazonでレビューしている多くの一般人と何ら変わりがないです。私はLP時代から輸入盤を買っていましたが、それは国内盤よりも安くて音が良いということと、評論家がドヤ顔で書いた下らないライナーノートを読まなくて済むからです。純粋な音楽以外の付加価値でものを見るとこういう失敗を犯すという見本のような事件だったと思います。長くなってしまいましたが、この国の芸術の有り様はやはり何かおかしいと常々感じていていたので思いの丈を書かせて頂きました。

余談ですが、この事件を扱った番組ミヤネ屋に解説者として出演していた大阪音楽大学のI教授は自分が知っている人だったので吃驚しました。(笑)

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