2009年2月12日木曜日

先日注文していた本が届きました。リュック=アンドレ・マルセル著のバッハ(白水社・現在絶版)で、作曲家の視点で書かれているので読んでいて非常に面白いです。因みに著者はフランスの現代作曲家で、オンド・マルトノの曲(Dance de l'oiseau de Barbarie)も書いています。最近、バッハのクラヴィア曲、幻想曲とフーガBWV904を練習し始めたのですが、左右の手をどう交替させるか考えながらなので時々頭がパニックになります。(^^; この曲は4声の2重フーガで、後半からテーマ同士が複雑に入り組んでくるので、楽譜を読んでいる段階では「よくこんな対位法処理を思いつくなぁ」と感心することしきりなのですが、実際に弾く段階になると実に大変で、もう一本手がほしいです。(笑)


4 件のコメント:

  1. バッハ本ですか。
    ネタ的に絡みづらいですね。
    音楽本。昔よく読んでました。
    最近は全くご無沙汰ですね。
    いつ以来だろ?「絶対音感」が最後かな?
    そうそう、バッハと言えば
    頭蓋骨からの復元顔、見ました?
    骨なんか残ってたのも驚きですが、
    復元されたお顔が、いかにもドイツの
    居酒屋のオヤジって感じで、
    私としては親近感がわきました。

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  2. あるこりっく2009年2月15日 2:49

    ピアノを学習していた頃は実はバッハがあまり好きではなかったんですよね(対位法が技術的に難しいのと音楽が非常に抽象的なので。しかも、小学生の頃、バッハの3声のインベンション(シンフォニア)をやろうとして、先生に「お前にはまだ無理だ」と言われた事がトラウマになっていたりします)。(^^; 自分としてはベートーヴェンに始まり、ロマン派を経てドビュッシーやラヴェル、次に現代音楽と来て今は何故かバッハが面白くなってきました。この本は作曲家が書いただけあって分析が秀逸です。伝記的な部分も勿論あるのですが、何分古い時代のことなのではっきりしない部分も多いようですね。理論派のハルさんにも面白いのではないかと思います。
    音楽本は実は私も最近あまり読んでいないです。絶対音感は私も読みました。内容については賛否両論ありますが、自分としては納得できることが多かったです。
    バッハの復元像も見ましたよ。仰る通りドイツのオヤジですよね。(笑) 有名な肖像画の厳めしさに比べると柔和な感じで、確かに親近感が湧きました。一部ではあの復元像の評判は(あまりにも普通の人の風貌なので)あまり芳しくないようですが・・・(笑) 教科書に載っていた肖像画を見て、何故かガッツ石松を連想してしまったことは内緒です。(^^;

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  3. バッハって音楽的には後の世代との断絶がありますよね。曲の構造からして違う。
    テーマそのものよりもテーマ同士の関係性を重視する。たまにそれが行き過ぎて「あれ?」って思うような曲もありますが。
    バッハの音楽がすごいのは、そういった技法を超えたところに何か尋常じゃないパトスを感じるところかな。バッハの音楽は巨大なエニグマ(謎)ですね。
    ところでチューニングが平均律でなかったら、バッハの音楽って成り立つのかしらん?

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  4. あるこりっく2009年2月16日 23:31

    「後の世代との断絶」というのは本当に言い得て妙だと思います。手間がかかる割にその労力が報われない極めて地味な対位法の世界は後の作曲家にとってはあまり魅力的でなかったのかも知れません。(笑) それは冗談としても、あの音楽の構築力と持続力はやはりバッハ以外になし得なかったのでしょう。確かに行き過ぎていると感じるものもありますよね。過去の作品の編曲では原曲の軽やかさが若干後退していたり、それでもバッハならではという音楽に変化していますが。
    形式(技法)と精神の一致は私もすごいと思います。技法を追求すると理知的になり過ぎ、感情に走ると音楽の構築性がおざなりになりがちで(ドビュッシーがサティーにもっと形式を考えて書くように勧めたりした例がありました。尤もサティーが感情だけに走ったとは私も考えていませんが)、これらを高度な次元で合致させてしまうのはやはり天才のなせる技なのでしょう。バッハの作品は、非常に限られた動機を逆行、反行、拡大、縮小させて積み重ねるようにして大伽藍を造っていくという趣があって、使う音に無駄がないんですよね。かといって厳格過ぎるかというとそうではなく、理論的にはかなり自由で、というよりむしろ理論から逸脱していたりして、といっても現代のような奔放さではなくてやはり時代の枠には入っているのですが、その辺のバランス感覚がまたハルさんの仰るエニグマです。(^^; 才能のない私は、フーガを書く時に展開しづらいテーマを選んで途中でグダグダになってしまうということを何度も経験しているのですが、バッハのフーガを見ると私には「どう考えたってこんなの展開できないだろう」というテーマでもさらっと仕上げているんですよね。(笑) テーマの音の動き方にも確たる理由があって、平均率第一巻第一番のフーガにはバッハの音による署名が入っているそうです。
    平均率以前の調律法だと、どうしても移調が限られてしまい、またウルフトーンという歪みが出るのでバッハが新しい調律で作曲したのもよくわかります。バッハの音楽では半音階が重要な意味を持つので、おそらくそれ以前の調律法では音楽として成り立たなくなってしまうのではないかと感じます。当時は現在の平均率とも若干違っていたようで、現代ではエンハーモニックは同じ音として扱いますが、バッハの時代、例えば嬰ハと変二では本来その持つ意味が違っていたようです。身近な例では、音階の第7音と導音(ハ長調であればシ)は記譜ではどちらも同じ高さですが、弦楽器などで実際に演奏する時には、導音の場合だけ音程を僅かに高く取って主音との距離が近くなるように(主音に戻りやすく)演奏する(ピアノでは音を変えられないので不可能ですが)のと何となく似ているような気がするのですが。(^^; ジャズのブルーノートは短3度と長3度の間に位置する中性3度ですが平均率ではそれが出せないためにこの2音を同時に鳴らして実際には存在しない音を喚起する(虚像を作る)ということをやっていて、バッハ時代も含めて人間の表現に対する欲求というか語法の拡大への意欲には瞠目すべきものがあると思います。長くなってしまいました。(^^;

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